「再生」の名の下に「破壊」が進んでいる現実。

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Photovoltaic panels of solar power station in Spain

今年の夏は旅行をしまくった。そして、旅先で太陽光パネルを見かけないことは無かった。
県によっては、おびただしい数の太陽光パネルが並んでる光景もあった。

これ……要るの?
「こんなもん絶対要らんやろ」ってのが、僕の正直な見解。

「再生可能エネルギー」。その響きには、環境に優しく、未来の希望をつなぐイメージが広がる。
けれど実際に日本各地で進んでいるメガソーラー開発の現場を見れば、その理想とは大きくかけ離れた光景が広がってる。

山は削られ、森は伐採され、そこに暮らしてきた動物たちの居場所は奪われる。
豊かな緑があったはずの場所に、無機質なおびただしいパネルが一面に並ぶ光景は「自然エネルギー」とは名ばかりで、ただの自然破壊やんか。
雨を吸収してくれる森が消えれば、土砂災害や洪水のリスクが高まっていくのは当然の現象。

再生可能エネルギーは本来、自然と共に未来をつくるためのものだったはず。
なのに現実は、山や森を切り崩し、野生動物を追い出すものになっている。
これのどこが“再生”なのか。僕には、ただの“皆殺し”にしか思えません。

それを請け負う業者や、そこで働き加担している人たちは、なぜ平気でそんなことができるのか。
やはり「金になれば何でも良い」という発想が、今の社会を支配しているのか。

なぜこんな矛盾が起こるのか。
その背景には、短期間で利益を追い求める事業者の存在と、国の制度の抜け道がある。
「環境に優しい」という看板を掲げながら、その実態は自然や命を犠牲にした開発。
これが本当に未来をつくるための選択と言えるのか???

僕自身、音楽をつくる中で自然から受け取るエネルギーを強く感じています。
鳥の声や風の音、四季の移ろい、そうしたものが人の心を豊かにし、文化を育んできた。
自然と切り離された社会に、本当に豊かな未来はあるのか。
そう考えると、この現実には強い悲しみを覚えます。

未来を照らすはずの光が、自然と命を犠牲にして生み出されるのなら、それは決して「再生」とは呼べない。
しかも人の生活にとっても、電気代は下がるどころかどんどん上がっている。
どう考えても、これは「再生」ではなく、ただの「皆殺し」だ。

僕たちが次の世代に残すべきものは、果たして鉄とコンクリートの山なのか、それとも自然の営みそのものなのか。

僕はどう考えても自然の営みやと思うなあ。

この件に関しては、悲しすぎる未来へ😢としか言えん。

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